ボランティア義務化 おかしくないか 安倍政権『教育再生』のカギ


 ボランティアの語源はラテン語で自由意思とか。その自由意思を義務化することが、安倍流「教育再生」で掲げられた。自由と強制は矛盾する。安倍首相もそれを認めつつ、でも「大きな意味がある」。では、それはどんな意味なのか。安倍流を一足先に行く東京都では、来春から全都立高校で「奉仕」が必修となる。広辞苑によると、奉仕とは「つつしんでつかえること」という意味なのだが-。

 教育改革を議論する首相直属の「教育再生会議」がまもなく始動する。この「再生」の売りの一つがボランティアの義務化だ。

 安倍首相自身、総裁選直前の先月十四日、「大学入学を九月にし、入学前半年間をボランティア活動にあてることを検討する」と言明。著書「美しい国へ」でも、共生社会創造のためには、最初は強制でも若者に(ボランティアの)機会を与えることに大きな意味があると記している。

■河川の清掃など授業は年35時間

 実は、この方策については東京都が先行している。来年度から、全都立高校で一単位年間三十五時間の「奉仕」が必修化される。

 「規範意識を身につけさせる」ことを狙いとし、ボランティアではなく「奉仕」と呼ぶ理由を、都教育委員会は「自発的に行うのではなく、教育課程に組み込み必修とするため」と説明している。活動例では河川の清掃や災害での救護、高齢者介護などを挙げる。

 もともと「奉仕活動の義務化」は、二〇〇〇年発足の首相の諮問機関「教育改革国民会議」で論議された経緯がある。「満十八歳の全国民に一年間程度の奉仕活動の義務化」が検討されたが「奉仕活動は自発的にやるもので義務化はおかしい」などの異論が続出。結局、義務化は最終報告で見送られた。

 今回の動きを、日本ボランティア学会に属する国学院大学の楠原彰教授(教育社会史)は批判的にみる。

 「ボランティアは義務化されるものではない。安倍政権のいうそれは実態としては奉仕のこと。ボランティアは自由な精神が基礎で、奉仕には国家や公に尽くす意味合いが強い」

 そのうえで、楠原氏は「ボランティアの基本には公共性や福祉の意味を考える作業があるが、奉仕は国家に思考を預けてしまうことで、若者の自由な批判精神を奪いかねない」と話す。

 東京都のケースでは奉仕義務化がニート対策にも有効という声もあった。しかし、ニート問題に詳しい著述業、矢部史郎氏は「ニートは自分を一人前に扱ってほしいと考えている。そこにただ働きのボランティアは何の意味もないし、職業訓練にすらならない。逆に介護などでは、虐待に走りかねない」と懸念する。

 戦時中には学徒勤労動員があった。「また同じようなことをするのか、と反発があるだろう」と語るのは「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」事務局長で、法政第一中高校の牛田守彦教諭だ。「戦前の学徒勤労動員も、初めは教育的な効果を狙って始まった。とてもよく似ている」

 牛田氏によると、学徒勤労動員が始まった一九三七年ごろは出征兵士の遺族や家族の農作業を年間数日手伝う程度だったが、三八年に国家総動員法ができると、期間も三十日、三カ月と延長され、四四年以降はほぼ通年になったという。

 ボランティアの第一線で活躍する人々も、一様に義務化に首をかしげる。

 アフガニスタンで医療支援などをしている「ペシャワール会」の福元満治理事は数年前に手伝いに来た高校生から「書類に印鑑を押して、ボランティアで働いたことを証明してほしい」と言われ、驚いたという。

 「安倍さんや都教委の人はボランティア経験があるのか。滅私奉公的に身を削るのが奉仕だが、ボランティアをやっている人にそういう気持ちの人はいない。井戸を掘るのはアフガンの人のためにもなるが、私たちも生きる豊かさを得られる」と心情を説く。

■強制より大切な自主性、主体性

 むしろ、海外で活動したボランティアが帰国すると無職期間とみなされる現状を憂える。「(強制より)主体性や自主性を高める環境をつくるほうが重要だ」

 アジアやアフリカで紛争や自然災害の被災者を支援している「日本国際ボランティアセンター」の熊岡路矢代表も「ボランティアは『志願兵』を表す英語が基で自発的なもの。最も義務化になじまない」と断言する。「自発的であればこそ見えてくるものがある」

 安倍首相が「最初は強制でも」と主張している点についても「百歩譲ってそうだとしても、大学生なら経験がある上級生が一年生に語りかける方法がある。政府が指示するようなやり方は弊害がある」と話す。

 長年、ラジオで子どもたちの相談をしてきた大分県・泉福寺住職の無着成恭さんは、都立高校での「奉仕」導入を「単位とは、笑ってしまう」と痛烈だ。

 無着さんはボランティアの本質を「他人のためでなく、自分がやって気持ちがいい、仏に近づいた気がするからやる。それを教えるのは学校の授業ではなく、宗教家の義務だ」と説き、公による強制を批判する。

 「そもそも、障害者やお年寄りをいじめる政策を採っておきながら、ボランティアとはどういうことだ」

 大阪市西成区で虐待の一時保護などで、子供たちの遊び場や生活の場を提供しているカトリック大阪大司教区「こどもの里・子どもの家」の荘保共子施設長は自らをこう振り返る。

 「人のために何かしたいと思ってきても、その気持ちがおごりだったと気が付くときがくる。ボランティアは自分自身を見つめ、模索し、成長しながら、結果として役に立つかもしれないというもの。強制なんてありえない」

 ただし、社会経験として個人がいろいろな世界を見ることは勧める。「でも、これは奉仕ともボランティアとも違う。あくまでも体験学習。義務化することでもないし、単位にすることでもない」(荘保さん)

 現場で活動する人たちの違和感をよそに、なぜ都や新政権は「奉仕」「ボランティア」に執着するのか。

 安倍氏は著書で「ときにはそれ(生命)をなげうっても守るべき価値が存在する」と説く。前出の楠原氏は「(安倍政権は)国家と個人を結ぶものとして奉仕活動を強制し、安易につなごうとしている。この動きは危険だ」と言い切る。

 「ドイツなどでは国家奉仕の中に兵役が含まれる。現行憲法があるうちは徴兵制は敷けないだろうが、公を強制させ、批判的精神を奪っていくことはそのおぜん立てになりかねない」

 ジャーナリストの斎藤貴男氏は「規範意識は世の中を指導している人が示すべきだが、今の大人たちにそれを言う資格はない」と前置きした上で警告する。

■人の生き方に枠「徴兵制に道筋」

 「安倍首相は国会で『子どもたちに高い学力と規範意識を身につけさせる』と述べた。しかし、宗教的なバックボーンが乏しい日本社会で、お上が人の生き方に枠をはめることは徴兵制に道筋を付けることに等しい。他人を右向け右と同じ方向へ向かせたいという支配欲、暗い情念を感じる」

<デスクメモ> 安倍氏側近の若手の会合で、ある女性議員がこう言ったそうな。教育の柱はいざとなったら祖国に生命をささげられるエリートの育成と、ニート問題には徴兵ならぬ“徴農”が決定打だと。頭に浮かんだのが、かの核実験を宣言した国。人の自発性を「首領さまの意思」になぞるのが流儀。どこか似てないか。 (牧)

東京新聞

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