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zoom RSS 民主労総の闘いから学ぶ−韓国の労働運動の歴史

<<   作成日時 : 2015/11/30 10:49   >>

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                 合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀
はじめに
 韓国の民主労総は11・14大闘争を爆発させ、さらに12・5にそれを上回るゼネストと大闘争を準備している。世界で民主労総のようにゼネストで闘っている労働組合はない。11・14集会でハンサンギュン委員長は次のように述べた。
「第1には45年が経ってなお多くのチョンテイルがもがいている野蛮な世界を変えるために、自信をもって叫ばなければなりません。死ぬほど働いても人間らしく生きられない世の中は私たちが望む世界ではなく、その権力は私たちのための権力ではないので、労働者民衆のための世界は、私たちが作るということだ。労働者が立ち上がらなければ、世界は決して変わらない。…1千万非正規時代を終わらせ、労働者が尊重される世の中を作る覚悟で闘ってきた同志たちの歩みが感動であり、希望です」(『前進』第2707号6面)
 現在、民主労総は朴槿恵の労働法制改悪と闘い抜いている。その最大の焦点となっているのが賃金ピーク制である。これは11・2−11・16の民主労総との理念交流会、動労千葉と民主労総訪日団との交流会の中でそのことが明らかになった。賃金ピーク制はすなわち動労千葉が反対の闘いを貫いてきた、シニア制度そのものである。国鉄闘争、1047名の解雇撤回闘争とシニア制度反対―外注化・非正規職化阻止の闘いは世界史的闘いなのだ。それはすなわち動労総連合建設の闘いに直結し、合同・一般労働組合全国協議会の組織強化拡大と一体の闘いである。
 賃金ピーク制は日本の「賃金減額制度」を模倣したものであり、派遣法や有期労働契約などあらゆる労働法規は日本の法や制度を韓国流に作り替えて導入している。その意味では似ているのでわかりやすいという面と、似ているから同じものだとするのは間違いの元だということがわかる。
例えば2011年に李明博(イミョンバク)政権の時に導入された複数労組制の解禁の問題である。合同労組の立場からすると、ユニオンショップ協定でがんじがらめにされている会社の中で、少数派が合同労組を立ち上げて資本と闘う労働組合を新たに結成して闘う場合、複数労組制禁止の下では、その合同労組は合法的労働組合足りえない。したがって複数労組制解禁は良いことのように思えてしまう。複数労組制禁止は世界の労働組合法の原則とは異なり、労働組合結成の自由を抑圧する制度であり、不当なものであることは明らかだ。しかし民主労総の組織化と闘いはその不当な制度を逆手にとって組織を作り上げた。複数労組制解禁はその民主労総の力を削ぐために導入されたのである。
「2010年の『労働組合法及び労働関係調整法』改正によって2011年7月から企業単位の労組は二つ以上設立可能となり、複数ある労組が使用者と交渉する際には、交渉窓口の単一化、つまり交渉代表の組合を決めなければならなくなった」「会社が多くのお金をかけて躍起になって第二組合を作った理由が、結局は民主労総を認めないためであることを時々刻々と確認しなければならなかった」(『塩花の木』キムジンスク著 耕文社 2013年11月10日刊 23〜24頁)
専従費を資本の側が出してきた歴史的慣行がある場合、それを不当労働行為として禁止にするのは、韓国の場合はやはり闘う労働組合の力を削ぐためのものである。日本では戦後労働法の中で不当労働行為として禁止されてきたことであるが、歴史的経緯が違うのだ。
他にも、「第三者の介入禁止」条項も日本ではありえない制度だ。
「1980年、労働組合法と労働争議関係調整法に、直接雇用契約を結んでいない第三者が労働組合の設立や団体交渉に関わることを禁止する『第三者介入禁止』条項が新設され、労組組織化を弾圧する法的根拠とされた。2006年にこのような条項は削除されたが、現在も警察がストライキ参加者や支援者を業務妨害罪で拘束する等の弾圧が続いている」(同上 13頁)
企業に雇用されている労働者以外はその労働組合に関与してはいけない法律である。そのため専従オルグや上部団体の役員などは団体交渉にも出席できないし、争議の支援もできないできた。それが犯罪とされてきたのだ。韓国では多くの労組活動家がこの法律で懲役刑を受けている。
そうなると組合員をオルグして組織するのは現場組合員自身だ。団体交渉もオルグ任せではできない。この悪法が逆に現場組合員の組織力をつけさせたのだと言える。労働組合を組織する場合も職場で最初から多数派にならなければ団体交渉をすることも、労働組合法の適用を受ける合法的労組として存在することができない。いつまでも少数派でいることはできないのだ。韓国の場合は日本の合同・一般労組のように一人分会で資本と団体交渉を行うことなどできない。だから合同労組のような形態はありえない。
他にいくつも違いがあるので韓国の労働法制改悪の歴史を学ぶのは韓国の労働運動を理解するうえで極めて重要な点である。それは我々自身の弱点を知る上でも極めて教訓的である。
 更に韓国の労働運動を学ぶ上で@1970年のチョンテイルの闘いの持っている歴史的意味、A1987年の大闘争と呼ばれる闘いの意味、B1995年の民主労総結成と97年ゼネスト。この3点に焦点を当てるとわかりやすいのではないかというのが私の立場である。この3つの視点を縦軸にして、労働法制改悪の歴史を編み込んでとらえることに本稿の目的がある。韓国の労働法制改悪は今回の朴槿恵の攻撃を含めて過去4回あるというのが民主労総ソンホジュン事務処長の見解である。11・2の理念交流での民主労総ソウル本部ソンホジュン事務処長の提起のポイントは以下の点である。
「韓国の労働法改悪は4回ほど数えられる。第1回目は98年のキムテジュン政権によって行われた解雇制度の導入。経営上の理由により解雇をできる整理解雇制が金大中によって導入された。2番目は2006年。ノムヒョン政権の時に派遣労働者などの非正規職の導入。これから非正規が増える。3番目が2011年のイミョンバク政権の時に「複数労働組合設立の解禁と交渉窓口の単一化」が導入された。労働組合の専従に対しては会社から賃金が保障されていたが、イミョンバク政権の時代に廃止され、時間内組合活動が制限された。一連の労働組合に対する攻勢が続けられてきた。
 さて2015年韓国における新自由主義的労働改悪をグレードアップするために法制度の改悪を行おうとしている。現在行われている朴槿恵の労働改悪は決定版であり労働組合を完全に無力化する攻撃です。したがって民主労総は資本と政権の労働法制に対して組織の死活をかけた戦いを準備しています。」(11・2理念交流提起より)
 韓国の労働法、労働法制全般、さらに労働運動の歴史を学ぶ場合、労働法や労働現場の問題だけを時の政治体制と切り離してとらえることはできない。韓国の場合は日帝が植民地支配した歴史があり、1945年の解放後米軍政支配の時代が続く。朝鮮半島に統一国家を打ち立てようとする民衆の闘いは1948年の5・10選挙反対闘争として爆発し、済州道で「4・3抗争」が闘われ、さらに朝鮮戦争があり、1960年4・19革命、1961年5・16の朴正煕の軍事クーデター以来の軍事独裁体制。1979年8月9日にYH貿易の労働者が野党親民党の本部を占拠して籠城闘争に入り、朴正煕はその籠城闘争を強制的に鎮圧する。その時にその時にキム・ギョンスクさんが謎の死を遂げている。続いて釜山と馬山で労働者の決起があり、朴政権内部で内紛が起きて朴正煕は自らの懐刀によって射殺された。それが1979年10・9であり、その後全斗煥が12・12軍事クーデターで権力を掌握する。それに抗して闘い抜かれたのが1980年の光州蜂起であり、光州民衆を虐殺し、全斗煥軍事独裁体制が敷かれる。その軍事独裁政権を打倒する1987年の大闘争があったのだ。
2015年の11・14を頂点とするハンサンギュン委員長の下での数波のゼネストはこの1987年大闘争以来の朝鮮革命を現実に手繰り寄せる闘いであり、作戦計画5015計画をゼネストで粉砕する闘いである。先制攻撃、核戦争を止める力は民主労総のようにゼネストで闘うことだ。世界の労働者が民主労総のように闘うことができれば戦争を止めることができる。11・13のパリの襲撃事件と民主労総の闘いはまさに対極にある。国際連帯で闘い抜こう! 民主労総の闘いの歴史から学びとろう!

1、全泰壱(チョンテイル)の決起

「1970年11月13日、ソウル東部地域に位置する平和市場という衣類専門店地域で小規模の抗議活動が起こった。12人の若い労働者が、平和市場の被服労働者の作業条件改善を求めるスローガンを叫んでいた。しかし、労働者が集まった直後に、警察と市場警備が駆けつけて、抗議活動を解散させようとした。抗議する労働者は一歩も退こうとしなかった。彼らは前々からこの抗議活動を準備し、自分たちの要求を広く知らしめるために断固たる決心をしていた。抗議活動を行うのはこれが初めてではなかった。それまでの抗議活動は、政府が労働者の要求に応じ、雇用主に労働条件を改善させると約束したものの、それが実行されなかったため失敗に終わった。これらの労働者は『三棟会』と呼ばれる小グループのメンバーであった。『三棟会』は、平和市場の縫製工場地域に働く12人の若い労働者で構成されていた。このグループを組織し抗議活動を準備した人物は全泰壱という22歳の裁断工であった。…抗議する労働者と警察、市場警備との問で小競り合いが続いている間、全泰壱はしばらくいなくなった。戻ってきたとき、彼は手にガソリン缶を持っていた。突然、彼は自分の体にガソリンをかけて火をつけた。彼の身体は、すぐに勢いよく燃え上がる炎に包まれた。呆然とした群衆は、全泰壱が炎の中で叫んでいる声を聞いた。『われわれは機械ではない』『日曜日は休ませろ!』『勤労基準法を遵守せよ!』『労働者を酷使するな』人々は全泰壱が勤労基準法の冊子を持っているのを見た」(『韓国の労働者―階級形成における文化と政治』(2004年3月15日第1冊 ハーゲン・クー 御茶ノ水書房 91〜92頁)
全泰壱の葬儀の二週間後の1970年11月27日、彼の意思を引き継いで平和市場において全国連合労働組合清渓被服支部と呼ばれる地域単位の労組が結成される。これはこの地区で雇用されている二万人以上の縫製工場労働者を代表した独自な地域単位の組合であり、今日の民主労総の起点となった労働組合であり、一旦潰されるがその後再建される。全泰壱の闘いと清渓被服支部は現在も尚民主労総の精神的支柱なのである。
1965年の「日韓条約」と共に締結された「法的地位協定」の基本的性格は在日朝鮮人に「韓国籍」を要求し、朴正煕政権を承認させ、日帝の在日朝鮮人政策を国家間協定に基づいて合法化させるものであり、この協定の下では「韓国籍」にある人は「韓国」へ強制送還されても、本人も韓国政府も拒否できないものとされていた。生殺与奪の権利を日帝が合法的に持つことになるのである。70年は政府自民党がその法案を国会に再提出した年である。
経済的には米帝の対韓援助累積額41億ドルの半分近くを占めていた無償援助が70年で打ち切られ、外資の元利返済が問題となっていた。70年前半で年平均2億ドルを返済しなければならなかった。2億ドルというのは当時の韓国の純外資獲得額の3分の1以上だ。日帝はそこに付け込んで新植民地政策を行う。朝鮮への再侵略である。典型的には釜山・馬山自由貿易地域のような、現在の「国家戦略特区」のようなものが作られた。この「特区」においては関税、物品税、所得税は免除。生産物は全部輸出して、そこで働く労働者の争議は認められない。争議には韓国政府が介入して禁止できるのだ。プサン・マサンにおいて労働者が立ち上がり、朴正煕が側近によって射殺された背景にはこういう実態があったのだ。
「1970年代に入ると、外資企業で労働団体権を事実上剥奪する法が制定された。1971年12月6日、国家非常事態宣言宣布と共に、『国家保衞に関する特別措置法』が施行され、憲法上補償された団体交渉権と団体行動権は禁止された。この法は10年間施行され、維新時代と第五共和国初期の労働政策の根幹を成した。そしてそれは、1972年10月17日にいわゆる10月維新が断行されて維新憲法(1972・12・27)が制定されると、労働団体権の法律留保が規定され(第29条1項)、また公務員と国家・地方自治団体・国営企業体・公益事業体、または国民経済に重大な影響を及ぼす事業体に従事する事業体の勤労者たちの団体行動権は法律の定めるところにより、これを制限したり、認めないこともできるように規定した(第29条3項)。1973年3月13日、労働団体法の全面的改定がなされ、さらに明らかな国家統制的性格を持つようになった。」(前掲 立命館法学 13頁)
 「特区」は一部の地域に限らず拡大していくのは不可避だった。70年のチョンテイルの決起はそういう状況の中での決死の闘いだった。日本においてはそういう韓国の労働者の闘いと固く連帯して70年決戦が闘いぬかれていた。

2、1987年の労働者大闘争
「1987年の夏に爆発した巨大な労使葛藤の波は、韓国労働者階級の闘争史における分水嶺となった。それは、韓国資本主義の発展過程において隠されてきたすべての矛盾と、労働者の積年の不満が、労働者大闘争として表面化した特別な事態であった。7月から9月までの三ケ月間に、過去20年の急速な産業化過程で起きた全労働紛争件数を超える、3000件以上の労働争議が発生した。ほとんどすべての大規模事業体で生産がマヒし、労働紛争は驚異的な速度と熱気を伴って全国に拡がった。労働争議は、あらゆる地域、あらゆる産業、あらゆる規模の事業体で発生した。全国的に数十万人の労働者が、ほとんど同時に動員されたこの巨大な規模の労働闘争は、韓国の産業労働者に新しい意味での集団的アイデンティティと階級意識をもたらした」(前掲 『韓国の労働者』205頁)
 80年の光州蜂起を鎮圧して軍事独裁体制を継続してきた全斗煥(チョンドファン)体制が打倒され、改憲をして新たな政治体制を作らないと革命まで行きつくと恐怖した韓国ブルジョアジー
が、「民主化闘争」と表現される韓国民衆の闘争を抑え込むために「6・29盧泰愚(ノテウ)宣言」というものを発表したのが87年だ。この宣言のポイントは@大統領の直接選挙制の受け入れ、A金大中(キムテジュン)氏の赦免復権、B国事犯以外の政治犯釈放、C言論の自由の保障など8項目にわたる。朝鮮革命に恐怖した米日帝の動きが背後にある。80年光州蜂起を血の海に沈めた全斗煥を一番最初に承認したのが日帝であることを我々は忘れてはならない。
韓国の労働者階級は「大統領の直接選挙制」を要求して闘い抜き、その闘いに追い詰められた全斗煥は4月13日に改憲論議の打ち切りを宣言したことで闘いはさらに高まっていた。1月にソウル大生朴鐘哲(パクジョンチョル)さんが拷問で虐殺されたことに対し6月10日に「ソウル大生拷問殺人隠ぺい工作及び護憲撤廃糾弾国民大会」が呼びかけられた。この大会は5万8千人の機動隊の導入で開催することはできなかった。しかし夜間デモにはソウルだけでも3万8千人が参加し、全国80大学の2万3千人の学生が決起し、全国で50万人が闘いに参加した。数千のデモが機動隊を武装解除させる闘いが現出したのだ。全斗煥は「全員検挙」の方針を出したが全人民決起の中で闘いを弾圧することはできなかった。6月9日に延世大生の李韓烈(イハニョル)さんが催涙弾の直撃を後頭部に受けて危篤状態にある中で、6・26の「国民平和大行進」には130万人が決起した。7月5日に李韓烈さんが亡くなり、それに抗して7月9日の追悼集会には150万の民衆が決起した。
労働者階級は7月5日に韓国の代表的財閥企業である現代グループの本拠地蔚山(ウルサン)工業団地の現代エンジンで労働組合を結成し、系列14の企業で労働組合や委員会を結成し、大韓自造船公社、国際商事などで籠城ストライキが闘われた。
1980年の光州蜂起以来、全斗煥の軍事独裁体制が続き労働法規も「第三者介入禁止」規定、さらに二人以上の労働者が団結して労働組合を作ったことを宣言すれば労働組合が結成できる労働組合の普遍的在り方が禁圧されてきた。しかし87年へ向かう闘いはそういう厳しい制約を突破して闘いぬかれるのである。
「1980年、法改正によって企業別労組の形態を強要しただけでなく、単位労組の設立も30名以上もしくは全体勤労者の5分の1以上の賛成が必要であると規定し、設立を抑圧した。これは米軍政以来、二人以上であれば、自由に労組を作ることができる原則の撤廃であり、また1973年の法改定以後の政府による産別組織否定傾向の極致であった。」「次に、労働団体法の全体を貫徹する、第三者介入の禁止は労組の組織と活動の面でも規制した。これは、70年代に宗教団体が、労働運動に介入するのを禁止する治安上の観点から立法化された。70年代末、維新崩壊の起点になったYH事件を契機に立法予告していたものを含むものであった。…86年末の改定で、上級連合団体だけが、第三者から除外された。また、1980年の改定による第三者介入禁止と関連して、労組が第三者に団体交渉を委任できるとした従来の規定が削除されて労使当事者だけが団体交渉をすることができるとし、弱い立場にある労組の団体交渉を不可能なものにした。」(前掲 立命館法学 16頁)
 87年大闘争により民主化闘争を闘った政治犯や在日韓国人政治犯もこの労働者階級の闘いの中で釈放された。

3、金大中政権による整理解雇制導入、派遣法導入

 97年1月、韓寶鉄鋼(95年売り上げ規模20位)の倒産に始まり、3月に三美鉄鋼(同23位)、4月眞露グループ(同29位)など韓国財閥の中堅財閥の経営危機が表面化し、7月には起亜グループ(同7位)、10月双龍(同6位)と韓国の代表的な財閥の経営破たんが続出した。
1997年のアジア通貨危機の際、韓国政府の救済申請に対しIMF(国際通貨基金)が条件として提示した経済政策が整理解雇制度や非正規雇用の促進という「構造調整」であり、金大中大統領がそれを導入したのだ。
「98年2月、いわゆる IMF 事態の克服という名目で、それまで論議があった雇用調整(整理=リストラ)の要件を緩和して即刻施行するために勤労基準法が改定され、派遣法が制定されて、企業倒産による未払賃金を解決するために賃金債権補償法が制定された。」「「第二に派遣法が制定され、製造業の直接生産業務を除外し、専門知識、技術または経験等を必要とし、一時的に人員を確保する必要がある業務を対象に派遣勤労者制度が導入された。使用者は一時的業務等に派遣勤労者を充てようとする場合、労組や勤労者代表と事前に誠実に協議しなければならず、派遣期間は原則的に3ヵ月または1年以内とし、一回に限り一年以内の延長ができ、勤労者派遣事業は労働部長官の許可を受けた場合に限り、三年に制限されるが更新許可をできるよう規定された。」(前掲 立命館法学 19頁)
 日本の派遣法と同様に最初は26業種から始まり、その後32業種に拡大する。しかし現在でも製造業、運輸業などの主要産業では派遣法は派遣許容対象ではない。しかし派遣法が一度導入されたら偽装派遣・偽装請負が蔓延るのは日本でも韓国でも同様である。
「2004年12月、政府・労働部は現代自動車で働く1万人の社内下請けの労働者を不法派遣と判定した」『25日 現代自動車非正規職蔚山工場占拠闘争の記録』(パク・チョムギュ著 翻訳版 労働者学習センター 2013年4月1日発行 20頁)その後6年を経て大法院でも勝利判決を勝ち取るが現代自動車はそれを認めないために「11・15占拠スト」に突入することになるのである。

4、民主労総の結成とゼネスト

「1990年代初めに民主労組陣営は、全労協、業種会議、現代グループと大宇グループの労組で構成された大企業労組協議会という三グループに分かれていた。1991年10月に韓国が国際労働機構(ILO)に加入したことで、民主労組陣営は国家に労働法改正の圧力を加えるために全国的な連合を結成した。この緩やかな連合が1993年6月には全国労組代表者会議(全労代)へと発展した。これらの前進を基に1995年11月、韓国労総に対抗するもう一つの全国労組組織である、全国民主労働組合総連盟(民主労総=KCTU)がついに結成された。民主労総は、結成当時862の労働組合と42万人の組合員を組織していた。法的には認定されてはいなかったが、民主労総は金属労組、現代組合、韓国通信労組と、その他の公共部門ホワイトカラー労組など、強力な労組を会員に含んでおり影響力ある全国組織として急浮上してきた。国家の苛酷な弾圧にもかかわらず、民主労総の組合員数は結成から一年以内に50万人に膨れ上がった」(前掲 『韓国の労働運動』260頁)
 この新たに結成された民主労総が1987年の大闘争から10年の後に闘いぬいたのが1997年のゼネストである。ハーゲン・クーの『韓国の労働者』は97年のゼネストの記述から始まるのである。
「巨大な労働者闘争の爆発から10年が経過した1997年1月、韓国の労働者は前年の12月に新たに通過した労働法に反対して大規模なゼネストを敢行し、再び世界の注目を集めた。争点となった新労働法は、雇用主が労働者を解雇し、臨時職労働者とスト代替用の労働者を雇用する権限を強化する一方、単一企業での複数の労組結成を禁止してきた条項をさらに数年間、継続するという内容であった。このストライキはおよそ300万人の労働者を動員し、自動車、造船、その他の主要な産業の生産を中断させた」『前掲 韓国の労働者 3頁)

5、李明博政権の労働法制改悪との闘い

 イミョンバク政権の労働法関係法制の改悪の@は「組合専従者への給与支給禁止と労働時間免除制度の導入(2010年7月)であり、Aは「複数組合設立の解禁と交渉窓口の単一化」(2011年7月)である。
韓国では組合専従者の給与を使用者が負担する慣行が存在してきた。2010年7月施行の改正により使用者が専従者に給与を支払うのを禁止した。同時に労働協約または使用者の同意がある場合は「労働時間免除者」として使用者による給与支給が認められた。このことによりフルタイム専従者が減り、労働組合の活動が制限されることになった。
更に韓国では1953年に労働組合法が制定され以来、複数組合の設立が禁止されていた。
「労組法は1963年の二次にわたる改定により、米軍政から認められていた複数労組の存立を否定し労組の自由設立主義を許可主義に変え、労組の政治活動を禁止した。このような立法は憲法上の労働団体権の保障を侵害するものであったが、法院や学会は勿論、労働運動界でも違憲の声が上がらなかった。まず、第二労組設立のための労組の民主化を徹底的に封鎖し、政府がでっち上げた韓国労総中心の労働統制組織だけを認定したことは、第三共和国以来、1997年の法改正まで不変の政策となった。それは、一企業一労組、一産業一労組、全国一労組という軍隊式指揮系統の形式を取るもので、軍事政府が捏造した全国ひとつの労組を軍隊式に統制しようとする思想から作られたものである。産別労組やユニオンショップを認めたのも、このような考え方からだった。御用労組だけを育成するために、従来の申告時に労組を認める設立主義を放棄して、施行令に設立申告書の差し戻し制度を置いて、国家の選別による労組許可制を規定した。次に、53年法が軍人、軍属、警察、刑務官、消防手の労組加入だけを制限しているが、63年法は事実上すべての公務員の労組加入を禁じた。」(前掲 立命館法学 11頁)
2011年に事業・事業所単位の複数組合の設立が許容された。これがどういう結果をもたらすかというと、民主労総のような戦闘的組合から分離して、企業内組合設立の動きとなる。現実にこの改定の後で韓国労総から183組合、民主労総から142組合が離脱して新組合が作られた。同時に事業・事業所単位の団体交渉窓口の一本化が行われた。複数の組合がある場合、労働組合は交渉代表組合を一つに絞らねばならない。2011年の改定で民主労総から分離して設立された新組合が過半数を取った割合は51・8l。韓国労総は19l。複数組合制の解禁は民主労総から離脱する組合を増やし、さらにその組合が団体交渉の窓口組合となり、民主労総が団体交渉の窓口でなくなるという攻撃だったのだ。

6、朴槿恵の労働法制改悪攻撃

朴槿恵は8月の「経済再跳躍のための国民談話」で、「定年を延長するが、賃金は少しずつ譲歩する賃金ビーク制を導入し、さらに青年雇用を多く作れるようにしなければならない」とし「今年中に全公共機関の賃金ピーク制導入を完了させる」と発表した。さらに「公務員の賃金体系も、能力と成果により決定されるように改編して行く」と述べた。教師と公務員の社会にも賃金ピーク制を持ち込み、さらに成果給制を拡大するということだ。(レーバーネット チェ・デヒョン記者2015・8・18)
韓国政府がまとめた労働改革案の核心は、すべての公共機関と551の民間事業場に賃金ピーク制を導入するということだ。賃金ピーク制は定年を延長する代わりに一定年齢に達したら通常賃金を削減すること。通常賃金とは勤労者に定期的に支払う賃金のことで、平均賃金の最低限度、解雇予告手当、時間外勤務手当、有給休暇手当、出産前後休暇給与を算定する基礎となる。日本の基準内賃金と同じようなものだ。したがってこれはあらゆる手当の削減にもつながる。
イ・グンミョン人事革新処長は「来年、賃金ピーク制の制度を整備し、2017年には特定の領域・職種・部門にモデル実施をする」と語り、具体的な方式については「定年を5年(60⇒65歳に)延長して毎年賃金を10%ずつ下げる通常の民間企業方式、退職した公務員を再雇用する日本方式など、さまざまな類型がある」とした。5月29日に改悪された公務員年金法によれば、退職した教師が年金を受け取り始める年齢になる2022年の61歳を始め、2033年までに65歳に遅らせる。現在の定年年齢が62歳の教師なら、退職後3年の所得空白が生じることになる。
韓国の企業はこれまで、労働組合との協議にもとづき定年を55〜58歳に定めてきたが、13年4月、「雇用上の年齢差別禁止および高齢者雇用促進法改正法」が国会で可決され、60歳以上定年が従業員300人以上の事業所では16年、300人未満の事業所では17年から義務づけられることになった。定年延長と賃金ピーク制−外注化・非正規化はセットである。動労千葉が闘い抜いてきたシニア制度そのものなのである。
11・2の日本での理念交流の場で動労千葉の田中委員長は以下のように述べた。
「この16年間にわたるJR外注化・非正規職化との闘いでした。民営化の本当の狙いというのが、結局、鉄道のあらゆる業務を下請け会社に放り出して、労働者ごと外注化していくという攻撃でした。
 駅の業務も、車掌の業務も、車両の検査修繕も、線路の保守も、電気系統の保守も、あらゆる業務を数百の会社にばらばらにして売り飛ばしていくんですよ。これは昨日、一昨日、公務員労組の仲間から年金の話を伺い、鉄道労組から賃金ピーク制の話を伺いましたが、まさにそれと一体で外注化が進められました。日本では定年は60歳なんですが、年金制度の改悪で年金の支払いは順次65歳まで引き上げられました。だから60歳定年以降、雇用が延長されなければ生きていけない現実が突きつけられたんですね。これを利用して、業務の外注化を労働組合が推進するという協定を結んだ労働組合だけ雇用を延長するという、そういう形で外注化が始まったんです。
 つまり、たとえば100名退職者が出たら、100名分の業務を下請け会社に外注化しれ、外注先で雇用を延長するということなんです。その雇用の条件は、元の賃金から比べると4割から5割という賃金です。 こんなことが何年か続いたらどうなるか? 鉄道本体は鉄道の業務を全く持たなくなるということです。すべての職場が外注化され子会社になり、非正規職の職場になる。この協定も動労千葉以外の労働組合は全部締結してしまいました。つまり60歳で首になってしまうからですね。僕らはこれも本当に職場で激論の上、この協定を締結しない決断をしました。その結果、この協定から5年の間に33人の動労千葉の組合員が、動労千葉の組合員であるというだけの理由で首になっていきました。でもその時、議論したのは、今確かに困難があっても、子どもたちや孫たちの世代に非正規の職場しかない社会を残せるのかという議論でした。」
 韓国では日本の労働法制改悪を学んでそれが導入される。朴槿恵の労働法制改悪は賃金ピーク制をはじめとして、公務員年金改悪、成果年棒制、退出制(二振アウト制)、派遣労働(32種)の拡大、就業規則改変要件緩和、人事・経営権にかかわる団体協約制限など全面的である。すべて日本が先で韓国はそれをより改悪して導入する。しかし、力関係でそう簡単にはいかない。派遣法は韓国ではまだ製造業には導入で来ていない。民主労総の闘いがそれを阻んでいるからだ。JRにおける賃金ピーク制は日本では国鉄分割・民営化と一体でかけられた。今その攻撃が韓国の労働者の襲い掛かっているのである。
日本でもそうであるように賃金ピーク制は一律ではない。大手大企業のサムスングループは、「@16年に系列企業に賃金ピーク制度を導入する、A同制度下で定年を延長する代わりに56歳から給与を10%削減する、B今後2年間で1、000億ウォンを投資して、若年求職者に3万人分の雇用を作りだすことを表明した。」(日本総研 韓国経済の今後を展望するシリーズF向山英彦 2015年9月7日No.2015-23 1頁)
現代自動車グループは「8月11日、@定年を60歳に延長する代わりに、16年からすべての系列企業に賃金ピーク制を導入する、A賃金ピーク制の導入を推進する一方、年間1000以上の若年雇用を創出する。ただし、現代自動車グループのなかで労使の合意が得られているのはわずかであり、現代自動車は労働組合と今後協議していく。」(同9頁)とある。一部合意がなされたかのような報道がなされているが民主労総は反対しているので何も決まっていないに等しいのだ。
韓国土地住宅公社は「16年より賃金ピーク制を導入する。8月28日、@定年を従来の59歳から60歳に延長すること、A定年が延長される代わりに、退職前の3〜4年間の賃金を減額することに労使が合意し、取締役会が導入を承認した。」(同上)
ひどいのは50%賃金カットのようなケースもある。
「最大手の教育サービス会社であるDaekyoでは09年に賃金ピーク制(最大で50%の賃金削減)を導入した。会社が少数の従業員と協議しただけで導入したのを不服とした従業員が裁判所に訴えた件で、ソウル地方裁判所は適正な手続きを経ないで賃金ピーク制を導入するのは無効であるとの判決を下した(The Korea Times 2015/09/03)」(同上)
朴槿恵は賃金ピーク制の導入の理由に「青年労働者の雇用の確保のための財源」を挙げている。
韓国は失業率自体はOECD加盟諸国のなかで低い方であるが、失業が若年層に集中している。若年失業率と30〜54歳の働き盛り世代の失業率との対比(13年)は韓国が3.51倍で、OECDの調査対象22力国・地域のなかで最も高い。仕事をもたず、学校教育や職業訓練を受けていないニートの割合は9番目に高く、20〜24歳では6番目、25〜29歳では7番日に高い。しかも韓国の場合、ニートのなかに占める大卒者の割合が42.6%と、他国と比較して圧倒的に高い。
 しかし青年の雇用を口実にしているにはペテンだ。賃金ピーク制が導入されたからと言って青年労働者の雇用が増えるわけではない。非正規化が一層進むことになるのは日本の例を見れば明らかだ。
更に青年だけでなく高齢者の貧困が問題になっている。OECD統計によれば、韓国の高齢者の相対的貧困人口率(所得分布における中央値の50%に満たない国民の全体に占める割合)は47.2%(2010年)で、OECD加盟諸国(平均は12.8%)のなかで最も高い。貧困の一因に年金給付額の少なさがある。これは国民年金制度の実施が遅れ、制度が成熟化していないことによる。韓国では仕事による収入と子供などからの援助への依存度が高く、公的年金への依存度が低い。公的年金に関しては、ドイツ86.8%、日本85.9%、スウェーデン81.5%、アメリカ77.5%であるのに対して、韓国は30.3%と非常に低く、公的年金が老後の所得保証として十分に機能していない。このため、高齢者は何らかの形で就業せざるをえない。米国、ドイツ、日本、韓国の4力国の年齢階級別就業率をみると65歳以上の就業率は韓国が一番高い。
 更に賃金ピーク制導入の理由に年功序列賃金を掲げ、これが青年労働者の雇用促進を妨げているとしているが、これも日本の場合と同じで全体の賃金水準の引き下げをするための理由にならない理由である。
「この背景には、韓国の賃金体系が年功序列型になっていることがある。韓国では通貨危機後、それまでの終身雇用制が廃止されたほか、業績連動型賃金体系への移行が推進されたが、大企業を中心に年功序列型の賃金体系が維持されてきた。実際、勤続年数別賃金上昇カーブは世界的にみても突出している。」(前掲(日本総研 韓国経済の今後を展望するシリーズF向山英彦 2015年9月7日No.2015-23 6頁)とあるが、「実際に昨年8月現在の勤続年数別の労働者構成を見ると、労働者1824万人のうち勤続年数1年未満は597万人(32.7%)だ。2年未満は844万人(46.2%)で、5年未満は何と1196万人(65.6%)に達する。」(レーバーネット ユン・ジヨン記者 2014・3・30)であり、年功賃金を享受している労働者の数は少ないのだ。
労使政委員長は9月13日の夜、韓国労働組合総連盟委員長が政府の案を受け入れ、具体的な手続きや立法については今後協議するかたちで妥協したと発表した。だが、労使政委員会で合意がなったにもかかわらず、労働市場改革案を巡る議論はまだ続いている。そもそも民主労総がこの労政使委員会に入っていない。70万を組織する民主労総を抜きにして韓国労総が受け入れを表明したとしても成り立たない。民主労総はゼネストで闘うことを宣言しているわけだからなおさらだ。
政府はまた、同じ職級であっても成果に応じて異なる年俸をもらう成果年俸制の適用を拡大し、勤務年数さえ満たせば自動的に昇進する勤続昇進制の廃止も推進する。政府は成果年棒制対象を現在の2級以上の管理職から7年以上の勤続労働者に拡大する案を検討している。企画財政部の関係者は「公共機関から成果年俸制の強化、賃金ピーク制の拡大、勤続昇進制廃止などの成果主義賃金体系を導入する計画」だと述べている。
「労働改悪の中で最も核心条項である就業規則の一般改定はソウル大病院をはじめとして国立大病院で一方的に始まった」(『国際労働運動』2015年12月号 55頁)
「LGユープラス・ソンパセンターは去る9月23日、懲戒に関する条項を主に就業規則改定案を発表した。改定案によると懲戒の種類に『勧告辞職』を追加して辞職勧告に従わない場合には解雇することができるようにした。懲戒事由に『人事考課及び業務評価に対する評価が低調な者』を追加した。また懲戒解雇事由に『半期内に3回以上警告を受け是正しない者』と『減棒以上の懲戒を2回以上受けた者』を追加した」(同59頁)
 これは就業規則の改悪と評価制度に基づく懲戒により解雇にまで進む改悪の典型例だ。9月13日の政労使合意は、今後「法と手続きによって明確にする」ということが決まっただけで、法律ができたわけではない。にもかかわらず労働現場では「低成果者」を名指しで解雇するような攻撃が開始されているのだ。

結語
民主労総は朴槿恵政権が労働法改悪を国会に上程するならば基幹産業の自動車産別が無期限ストライキに決起するというすさまじい方針を打ち出した。ハンサンギュン委員長は朴槿恵打倒! 労働法改悪絶対反対を掲げて非妥協的に闘い抜いている。民主労総指導部は全国を回り、オルグして4・24ゼネストを爆発させ、7・15ゼネストを貫徹し、11・14大闘争を闘い抜き、12・5ゼネストに向かって闘い抜いている。
11・2の理念交流会で民主労総ソウル地域本部のソンホジュン事務処長は「もう一度日本の労働者が立ち上がるために火花が点火されることが重要だ。そうした現場から蘇るような闘いが起きるならば必ず日本の労働運動は蘇る。飯を食うことも闘いになる」と述べた。労働運動は一朝一夕にはいかない。しかし職場生産点からの粘り強い闘いが必ず大きな火の海になるのだ。民主労総の闘いから学び、ゼネストの打てる全国協へ飛躍しよう!

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