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zoom RSS 事故から1年、目撃者がJRの対応に怒り

<<   作成日時 : 2006/04/27 09:28   >>

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 兵庫県尼崎市で起きたJR脱線事故は25日、発生から1年を迎えた。同市内では追悼慰霊式が営まれ、遺族やJR西日本関係者ら約1900人が参列。主要駅には記帳台が設けられるなど、各地で追悼行事が行われた。事故を間近で目撃し、JR西日本の「置き石説」を真っ先に否定した尼崎市の鉄工業、灰山季久雄さん(66)はこの日、同市内で開催された追悼集会で手記を発表。遺族らに対するJRの対応に「事務的に処理していくことがたまらん」と怒りを表した。

 追悼集会「追悼と安全の夕べ」で灰山さんの手記が朗読されると、会場は静まり返った。遺族らは涙をこらえて聞き入った。原稿用紙4枚にまとめた手記は、日々の仕事を終えてから約3週間かけて書いた。

 《私の仕事場は事故現場から北へ100メートルほどの線路沿いにあります。私は習慣のようにJRの列車の行き交うのを眺めるのが常でした。この日の朝もひと仕事済ませて、知人に携帯電話をかけながら尼崎方面へ行く急行列車を見ておりました》

 深夜、原稿用紙に向かった灰山さんは、何度もペンを止めた。「真実を伝えることで遺族をさらに悲しませるのではないか」。その一方でなぜ、事故を見たのか自問自答してきた。

 この1年、灰山さんは朝夕、事故現場へ向かって手を合わせるのが日課となった。1人で鉄工所を営む灰山さんの生活スタイルは一匹狼だったが、最近、家族から「お父さん変わったね」と言われるようになった。今年3月から遺族らでつくる「4・25ネットワーク」にボランティアとして参加するようになった。現場を訪れる遺族には求められれば、見たままを話した。

 《快速列車が大きく揺れながら、猛スピードで、ジェット機の逆噴射のような音をたてながら私の目の前を通過するやいなやマンションに激突、その瞬間、きのこ雲のような砂煙がマンションの高さあたりまで立ち上がりました。そのあと一瞬、静まり返っていました。「脱線だ!」と叫びマンションの方へ走りました。マンションに着くとガソリンの臭いが鼻につき、白い車がつぶれているのが見えました》

 惨状の中、救助活動をした灰山さんは車両から若い女性の叫びを聞いた。「お母さん、助けて」。

 《情景は目に焼きついており、今でも昨日のことのようにはっきりとよみがえってきます。あれから1年、JRの列車は車体の色も塗り替えられ、以前よりスピードを落として工場の前を通過しております。どんな想いであの衝突の瞬間を体験されたのでしょうか。あの現場近くで「心安らかに」と朝夕、これからもずっと祈り続けることをお約束します》

 灰山さんは70歳を区切りに鉄工所を閉めるつもりだったが、体力の続く限り、仕事をやり続けることを決めた。JR西の遺族らへの対応に「事務的に処理していくことがたまらんねん。つらいねん」と話す。「お母さん、助けて」の声は決して忘れない。

[2006年4月26日9時33分 紙面から]

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